/ミニチュア・コスモス/



宇宙(そら)に恋した男が居た。
世界の果ての小さな古ぼけた天文台で、男は毎日闇に浮かぶ星を拾っていた。

「もっと大きな天文台で仕事なさい」
「そんな壊れかけた天文台(いえ)など、捨てておしまいなさい」
たくさんの人が彼に言った。けれど彼はそんな言葉には耳も貸さず、世界の果てに暮らしていた。

「私はこの天文台の守り人なんだ。私はこの天文台に選ばれたんだよ」
人々は信じようともしなかったが、男はそう言って笑っていた。

天文台には、男と一緒に、幼い少女が住んでいた。
少女は、仕事を始めると食事を取る事も忘れる彼の為に毎日パンを焼き、ベットを整え、部屋の掃除をした。
文句のひとつも言うことなくくるくると働く少女は、けれど時折鳥がさえずるような声で歌を歌った。

男は、宇宙を愛するのと同じくらい、その天文台と、共に暮らす少女を愛していた。
人々はしだいに彼の事を忘れていったが、其れでも彼は毎日変わらず星を眺めていた。


やがて長い長い月日が流れ、男は白いひげをたくわえた老いた老人になった。
少女はけれど、いまだ幼い姿のまま、やはりくるくるとよく働いていた。
少女は、古い自動人形(オートドール)だった。

ある日、いつものように星を眺めていた老人は、自分のてのひらがだんだんと熱くなっていくのを感じた。
何が起こったのか分からずぽかんと口を開ける老人の目の前で、その熱は収縮し、やがて小さな星の輪郭を形作った。
老人は自分のてのひらから生まれた未だ熱をもった星を手に取ると、少女に言って小さなガラスのビンを用意させ、其れに入れて棚に飾った。
それからは毎晩望遠鏡で星を見つめるたび、老人の手には小さな星が生まれるようになった。
だんだんと増えていくガラスのビンを見ながら、老人はそっと微笑んだ。

うわさはすぐに広まった。
星を生む老人は、あちこちの国から、自分達の国へ来るようにと誘われた。
「彼は私の国の天文台で働くのだ」
「いいや、私の国に来て頂きたい」
老人を自国のものにする為に、戦争をおこそうとした国もあった。
それでも彼はけっしてそこを動かなかった。
この天文台でしか星を生む事が出来ないことを、老人は知っていた。

「それではせめて、星を作る方法を教えて下さいませんか」
そう言った人もあった。
けれどその問いにも老人は、ただ首を横に振るだけだった。
その古い天文台を愛し、また天文台に愛された彼にしか、星を生むことは出来なかった。

人々はまた、彼のことを忘れていった。
毎日のように届けられていた手紙が日をおうごとに少なくなり、やがて示し合わせたように、ぷつりと途切れた。
その頃反対側の世界の果てで、天気を自在に操るという美しい鳥が発見されていた。
人々はその鳥の存在に夢中になり、星を生む老人のことなど、頭のすみにも思うことはなくなった。

老人は人々に忘れ去られてもなお、毎日星を生み続けた。


星を入れたガラスの瓶が棚いっぱいに溢れそうになった頃、老人は倒れた。
次の日から老人は、望遠鏡を覗くことも出来ずベッドに寝たきりになった。

老人は本物の星を見れないかわりに、自身の手から生まれた棚いっぱいの星を見つめて過ごした。
それから彼は、たくさんの人間の書いたたくさんの星の本を読んだ。
少女は、うずたかく積み上がった本の隙間を縫うように部屋の掃除をして、老人のために柔らかい食事を作った。

夏が過ぎ、秋が来て雪が降り、彼の暮らす世界の果てにも遅い春がやってきたとき、老人は一冊の本に出会った。

本に描かれるのは、優しく美しい星の輝き。
老人は一目でその本に、そして本の向こうに見る作者に恋をした。
そうして彼は思った。
「この人しか居ない」

老人は、その本を書いた女にあてて、短い手紙を書いた。
「Come Here」


それからまたしばらくたって短い夏が始まった頃、その女は老人の元へとやってきた。
古い古い壊れかけた天文台。頑丈な重い扉を開けた女は、思わず息を呑んだ。
薄暗闇の中、部屋のすみの棚に溢れる光の粒子。
それが手のひらに乗るような小さな星の集まりだと気付いた時、女は「宇宙だわ」と呟いた。
その言葉が引き金となったように、たくさんの星がふわりと部屋中に満ちる。
ぱりんと澄んで聞こえた音は、今まで星を詰めていたガラス瓶が割れる音だったのかもしれない。

目を丸くする女に、老人は優しく微笑みかけた。

「あなたならきっと、この天文台を愛してくれるね。あなたにもいつかきっと、この宇宙をつくれる日が来るだろう。この天文台もきっと、あなたを愛してくれる」
しわがれた声でゆっくりとそう言った老人は、細めた瞳の向こうで、はるか昔のことを思い出していた。
それは、彼がはじめてこの天文台に足を踏み入れた日。
あの日、暗闇の中目を丸くした彼に、ベットの中からその老女は言ったのだ。
「あなたが、私が選んだこの天文台の新しい守り人よ」

世界の果てで、この小さな天文台の歴史は、永遠に繰り返される。

「あなたの宇宙を、ここでつくりなさい」

老人がそう言った瞬間、部屋に満ちていた星空は手品のように消え去り、老人の体は宙に溶けた。
そこには女と、幼い少女が取り残された。

いままでじっと部屋のすみに立ち尽くしていた少女が、やおら歩みをすすめて女の元へとやってくる。
「ハイ、私の新しいマスター」
にこりと少女が笑う。
自動人形が主人の命令もなく動くことが女には不思議で堪らなかったが、その不思議もここではきっと当たり前なのだろうと頭のどこかで理解していた。

女はただ、もう一度、あの、部屋に溢れる宇宙が見たいと思った。
いままでの天文台守りが、誰一人として思わずにいられなかったことを、彼女も思った。
女は、宇宙に、そしてこの天文台に恋をしたのだ。


たくさんの人々が、彼女に帰ってくるようにと言った。
しかし彼女はそんな言葉には耳もかさず、少女とふたり、世界の果てに暮らすこととなった。




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