リリィは自動人形(オートドール)だった。
何年も何十年も動き続け、何人も何十人もの人間をご主人様(マスター)と呼んだ。
「こんにちは、私の新しいご主人様(マスター)」
新しい主人(マスター)に仕える度、リリィはそう微笑んだ。
人形の笑み。
「私は今日からあなたの僕(しもべ)。どうぞ私に名前をお与え下さい」
名前を与える。それが主人(マスター)と自動人形(オートドール)の主従の儀式。
どんな名前で呼ばれても、「はい、ご主人様(マスター)」とリリィは答える。
けれど決して「応え」ない。
「リリィ」だけが、リリィの本当の名前だった。



/リリィの瞳は硝子玉/



ある時リリィはシャナだった。
主人(マスター)は大きな屋敷に住む年老いた男で、「シャナ」は彼の、事故で死んだ孫娘の名前だった。
彼は孫の服をリリィに着せ、皺くちゃの手で頭を撫でた。
リリィには自分を、「ご主人様(マスター)」ではなく「おじいさま」と呼ばせた。
ある日、リリィがいつもの様に主人(マスター)の車椅子を押して庭の散歩をしていると、ふいに老人の体が大きく傾いだ。
魂の抜けた体は、リリィのそれと同じくらい冷たかった。
人付き合いの少なかった老人の葬儀はひっそりと行われ、リリィは何日もしないうちにその屋敷を出ることになった。


ある時リリィはナンナだった。
主人(マスター)は口唇の上に血のようなルージュを引いた婦人で、リリィにナンナという名前を与えたが、普段はナニー(子守女)としか呼ばなかった。
リリィが世話を任されたのは、主人(マスター)の幼い娘。
リリィと娘を屋敷に残し、主人(マスター)は毎日のように夜の街へ繰り出した。
娘は毎晩泣いていたが、やがて泣き疲れ眠ってしまう。
娘が眠るまで手を繋いで、眠った娘の肩に毛布を引き上げてやるのが、リリィの一日の最後の仕事だった。
ある日リリィは、主人(マスター)の首元を飾る大きな宝石の代わりにその身を売られた。
お母様、お母様、毎晩呼んでは泣く娘の声が、その日はリリィの名を呼び続けていた。


ある時リリィはスゥだった。
どこかの国の言葉で「4」を意味する名で呼ばれる彼女は、その屋敷の4番目の自動人形(オートドール)だった。
皆が同じ服を着せられ、ひとつの小さな部屋に押し込められた。
労働は過酷を極め、不備や欠陥が生じれば破棄され、代わりに新しい自動人形(オードトール)がやって来た。
主人(マスター)の姿は儀式の日以来目にしていない。
ある朝突然、昨日まで一緒に働いていた自動人形(オートドール)達と共に、リリィは屋敷を追い出された。
新型、の自動人形(オートドール)が届いたので、旧式はもう「いらない」のだそうだ。
モノのように乱暴に箱に詰められる寸前、リリィが見た5体の自動人形(オートドール)は、皆同じ顔をしていた。


ある時リリィはフロライン(お嬢さん)と呼ばれていた。
古くなったリリィには、なかなか買い手が付かなくなった。
人形売りの老人は店の隅にリリィを座らせ、彼女をフロライン(お嬢さん)と呼んで、毎日その絹の髪を梳った。
長い時を、リリィはその店で過ごした。
リリィには買い手が付かなかった。…付けなかったのかもしれない。
ある晩店はふいの火事で燃え上がり、人形売りは一切の財産をなくした。
焼け残った自動人形(オートドール)を捌いて金に換えたが、とうとう困窮し、最後に残ったリリィも手放す羽目になった。
リリィが仲買いに連れられて行く朝、老人はいつまでもリリィの手を握って離さなかった。



リリィは自動人形(オートドール)だった。
何年も何十年も動き続け、何人も何十人もの人間をご主人様(マスター)と呼んだ。
「こんにちは、私の新しいご主人様(マスター)」
新しい主人(マスター)に仕える度、リリィはそう微笑んだ。
人形の笑み。
「私は今日からあなたの僕(しもべ)。どうぞ私に名前をお与え下さい」
名前を与える。それが主人(マスター)と自動人形(オートドール)の主従の儀式。
どんな名前で呼ばれても、「はい、ご主人様(マスター)」とリリィは答える。
けれど決して「応え」ない。
「リリィ」だけが、リリィの本当の名前だった。



ある時リリィは……



リリィはその時、ごみ溜めの中に居た。
何十年もの時を動き続けていたリリィは、その動力を使い果たし、今は残ったぜんまいがジ、ジ、と耳障りな音をたてるだけだった。

そんなリリィの目の前に、ひとりの男が跪いた。
そうして呼んだ。「リリィ」と。
…「リリィ」は、リリィの、たったひとつの本当の名前だった。

「ずっと探していた」
男は言った。
「私は、キミを作った人形作家の、孫にあたる」
その言葉に、もう一滴の油も残っていないはずのリリィの首が、わずかに動いた。
リリィを作った。それは、リリィをリリィと呼んだ、ただひとりの人間。
彼がリリィと呼んだから、リリィはリリィになった。
「おじいさんは、ずっと言っていた。おじいさんは本当は、キミの瞳に青い宝石を埋めたかったんだ。けれどその頃のおじいさんには宝石は買えなくて、代わりに硝子玉を埋め込んだ。…約束だったんだろう?覚えているかい?彼はキミに言ったはずだ。いつかちゃんと、綺麗な宝石を入れてあげるって」

覚えている。約束だった。いつか、世界で一番綺麗な宝石を埋めてあげる。


だからそれまで、この硝子玉で世界を見ておいで。


「おじいさんは、もうずいぶん前に死んでしまった。けれど、約束だったから。…僕が約束を果たしに来た。ほら、これがキミの、本当の瞳だよ」
男は恭しく、透き通る青の宝石を取り出した。
そうしてそっとリリィの頬に触れ、瞳を埋める。
取り出した硝子玉は、これで役目は終わったとでも言うように、瞬間、男の手の中で砕けて散った。
「さあ、行こう」
差し伸べられた手を取ったリリィは、今まで軋んでいたのが嘘のように、すっくと立ち上がった。
埋め込まれたのは瞳。
与えられたのは魂。
リリィはその瞬間から、本当のリリィになった。
浮かべる笑みは、少女の笑み。



手に手を取った男と少女が、その後どうなったのか。
知る者は誰もいない。




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